皆さんこんにちは。今日はペットの安楽死について語っていこうと思います。
まずはじめに、“安楽死”というワードを聞いて日本人の方は特にですが、良いイメージが少ない方がほとんどだと思います。
何故なら日本人の方は特にですが、天寿をまっとうし、最後まで一生懸命生きることが善とした考えの方が多いと私個人的には思うからです。
オーストラリアの動物病院
私も実はそうでした。海外の動物病院で働くまでは。
今から2年程前に私がオーストラリアの動物病院の中でグルーマーとして働いていた頃にこんな患者さんと出会った経験がありました。
その子はパグで、ある日を境に突然後脚が上手く動かなくなってしまったのです。
沢山の検査をして原因を調べましたが、結果これといった原因はわからないまま、恐らくですが親近交配が原因という診断でした。当時そのパグちゃんはまだ若かったですが後天性疾患の様な形でその様な事態に見舞われたのでした。
そこでその飼い主さんが出した決断は“安楽死”でした。
当時の私としては内心“ええーー・・・”
といった心境でした。そのパグちゃんは後脚が上手く動かせなくなり、自力では歩けない状態でした。
しかし逆を言えばそれ以外はまだ年齢も若く、見た目としては普通に元気でした。
これは後から飼い主さんに聞いたお話ですが、その飼い主さん曰く、そのパグちゃんは元々お散歩が大好きだったそうです。
毎日お散歩の為に外へ出ることが生き甲斐だったのにも関わらず、ある日を境に突然自由に身動きが取れなくなってしまい、
そのパグちゃん自身、かなりストレスを感じてしまっている様子だった、とのことでした。
そこで飼い主さんは決して簡単な決断ではありませんでしたが、安楽死という決意をしたのだと言っていました。
しばらくの間、私にはその決断が理解できませんでしたが、最近になってやっと私にもその飼い主さんの気持ちが理解できる機会がありました。
苦渋の選択
それが18年間ずっと元気で長生きしてくれていた愛犬の死でした。
これは本当に苦渋の選択でした。
18歳半という犬業界ではかなり長生きしてくれた愛犬でしたが、亡くなる最後の3ヶ月は本当に大変でした。
まず、夜中の徘徊、夜泣き、時々現れる痙攣の様な発作、そして徐々に散歩の距離も短くなり、最後は自分の力では立てなくなってしまい、あっという間に寝たきりになってしまいました。
つい数ヶ月前までは後ろ脚を引きずりながらもゆっくり、しかし確実にいつものお散歩コースを歩めていたのにも関わらず、たった数週間で完全に歩けなくなってしまいました。
この時1番辛かったのは勿論愛犬本人だったと思います。
しかしこの頃、私の中でも毎日毎日頭の中をよぎるのは“安楽死”のワードでした。
何故かというと、私の愛犬は本当に大のお散歩好きで、少し前まで飼い主から見てもこの子が散歩ができない状態になった姿が全く想像できなかったからです。
そして実際に愛犬が自力で歩けなくなってからというもの、愛犬の表情がとても寂しい顔になり、最終的には心ここにあらず、といった表情に常になっていました。
補助しながらアスファルトの感触を感じさせながら歩かせたり、いつもの散歩コースで毎回立ち寄っていた草むらのところに行かせて草に顔を近づかせて匂いをかがせても、愛犬はただの無表情でした。
これは私が一番恐れていたことでした。
生きる生き甲斐を失くしてしまった愛犬の表情はとても暗いように私の目には写りました。
そして私の愛犬は歯槽膿漏の問題もあり、鼻から膿が出るようにもなってきていました。
最初のうちは少量でしたが、日に日に量は増えてゆき、夜寝る時はズビズビと音を出し、かなり息苦しそうで寝苦しそうでした。
この様な様子を見て、私は毎日“この子は今生きていてもしんどいんじゃないか?大好きな散歩も自力では歩けなくなり、24時間心地の悪いオムツを付けられ、“早く楽になりたい..“と思っているのではないか、、“とそんなことばかり頭を過ぎるようになってしまいました。
愛犬には日々、“頑張り屋さん過ぎだって..もうそんなに頑張らなくていいのに..“ “私のことは気にしなくて大丈夫だから自分のタイミングで楽になっていいよ“といつも思っていた&そう声をかけていた私でしたが、愛犬が何度か発作を起こし、体調が悪くなると“やっぱ嫌だぁ..お願いあと一週間だけでも、いや3日でもいいからもうちょっとだけ死ぬの待って..(涙)“と、泣いてしまったりもしていました。
そして、愛犬は歩けないし、口も痛いしで、生きる楽しみが無くなってしまった今、痛みだけを感じて生きている今、この時間は愛犬にとってただただ痛みや苦しみを感じるだけの為に生きているのか、だったら一層のこと上手く死ねなくて痛みや苦しみに耐えて息してるだけならば、早くこの痛みや苦しみから抜け出させてあげる為に私が背中を押してあげる(安楽死)方が彼に取って良いのではないかと思ったのでした。
そしてそう考えた次の日。私は愛犬を子犬の頃からお世話になっていた獣医さんへ連れて行きました。
そして、“平常時でもかなり辛そうなので、楽にしてあげたい“と獣医さんにそう伝えました。
すると獣医さんは、“いや、この子はまだ生きようとしているよ“ と言い、“それならば痛み止めだけでも“と言ったのですが、結果目薬を一本だけ下さり、私たちは家に帰る方向となりました。
突然やってくる別れ
次の日。私の誕生日でした。
昼間、家族からケーキを貰い、自分と愛犬とケーキと写真を撮りました。
その写真が私と生前の愛犬との最後の写真となったのでした。
その日の夜、いつもの様に横になって寝ていたのですが、彼は突然少し息が荒くなり、私が“大丈夫〜?“と声をかけて胸に抱き上げてポンポンしてあげると、5回程小さな深呼吸をし、コクンッと私の胸の中で静かに亡くなりました。
私はとても驚きました。まさか自分の誕生日に愛犬が亡くなるだなんて。
しかし後から考えれば考える程、本当に良い子だったなぁ、どれだけ私のことが好きだったのだろう。これから先、どんな忙しくなろうと、私は毎年自分の誕生日を迎える度に彼のことも一緒思い出すことができる、と思いました。
きっと彼のタイミングで亡くる時が何度かあったけれど(発作の時など)、毎回私が泣いてしまうから体はボロボロだったけど、なんとか私の誕生日の日まで必死に生きてくれていたのだなぁ、と今はそう解釈しています。
そして、あの時、目薬を一本しかくれなかった獣医さん。痛み止めも点滴も断った獣医さん。きっと彼はこの子の命があと1日、2日だと悟っていたのだと思います。
しかしながら私はこの様な経験を経ても、未だに安楽死に対して意見を持つことができません。
痛みや苦しみが伴っていてもそれでも長生きすれば良いものではないと思う気持ちが半分、痛みや苦しさを感じながらも天寿を真っ当するのも生きる最後の使命、任務なのか、とも考えてしまったりもします。
愛犬をお持ちの皆さん、全員にこの“死“と言うお別れの日は必ずいつか訪れます。
みなさんは安楽死に対してどんな意見をお持ちでしょうか。
執筆:トリマー石原