今回は、実験動物の福祉向上を目的として執筆された論文「臨床獣医行動医学の視点からの実験動物のエンリッチメント戦略」(Overall & Dyer, 2005)をレビューします。
本論文は実験施設という極限の環境において、いかに犬や猫の精神的・身体的健康(ウェルネス)を保つかを扱っています。しかし、そこで語られている本質は、家庭で暮らす犬猫にも通じる重要な示唆に満ちています。
「環境エンリッチメント」という言葉を聞いたことはありますか?これは単にオモチャを増やすことではありません。その動物が本来持つ行動(探索・狩り・休息・社会的交流など)を発現できるよう環境を整え、生活の質(QOL)を高める科学的アプローチです。
- 環境エンリッチメントは「贅沢」ではなく、健康と行動の安定に関わる必須要素になり得る
- 猫には隠れ場所と3次元(上下)の空間、そしてトイレ環境が重要
- 犬には社会的接触(質の高い関わり)と静かな環境が重要
- 正の強化を用いたトレーニングは、ストレスを減らし「協力的なケア」につながる
目次
ストレスのサインを見逃さない
論文ではまず、「正常な行動」や「気質(性格)」の定義が曖昧になりやすい点が指摘されています。家庭でも同じで、動物の不調を見抜くにはその子の“普段”を知ることが第一歩です。
ストレスが引き起こしやすい変化(例)
- 食欲不振/過食
- 社会的な引きこもり(人や同居動物を避ける)
- コルチゾールなどストレス指標の上昇(※研究場面で測定されることが多い)
- グルーミングの減少/過剰なグルーミング
- 隠れる行動の増加、固まる、呼びかけに反応しない
著者らは、動物が「ストレス体験から回復する力」や「失敗から学べる力」(レジリエンス)を持てることが、良い状態(福祉)の重要な指標になると述べています。つまり、ストレスをゼロにするよりも、回復できる環境を作ることが鍵になります。
3次元空間と「選択肢」が幸福をつくる
猫は単独ハンターとしての性質が強く、環境のコントロール感(自分で選べること)がストレス低減に直結します。論文で強調されているのが、「隠れられる」ことと、「上下に移動できる」ことです。
居住スペースの工夫(床面積より“質”)
- 垂直方向の移動:キャットタワー、棚、窓枠などを活用し、高い場所へ行ける導線を作る
- 隠れ家:段ボールや箱、覆いのあるベッドなど「完全に隠れられる場所」を確保する
- 窓からの視界:外の景色は刺激になる一方、外猫が見えてストレスになる場合もあるため反応を見て調整する
ポイント:猫にとって重要なのは「広い部屋」よりも、安心できる場所を自分で選べることです。
トイレ環境の科学(家庭でも効く“設計”)
トイレの問題は猫の行動相談でも多いテーマです。論文の知見は、家庭にも応用できます。
- サイズ:猫の体長の1.5倍以上が目安
- 数:飼育頭数より多め(いわゆる「頭数+1」発想)
- 清潔さ:すくう回数を増やし、全交換も定期的に(猫の許容度は個体差あり)
- 素材の好み:好みは猫ごとに異なるため、急に変えず段階的に
食事のエンリッチメント(「狩り」の疑似体験)
猫は本来、少量を何度も狩って食べる動物です。「皿に出したら数分で終了」だと、刺激が足りず退屈の原因になり得ます。
- パズルフィーダー:手を使って取り出す仕組みで採食に時間をかける
- 隠し給餌:ドライフードを複数箇所に分けて配置し“探す”行動を引き出す
社会性と「音ストレス」への配慮
犬は人や他者との関わりの中で安心しやすい動物です。そのため犬のエンリッチメントは、モノよりも「関係性の質」が重要になります。
人間との相互作用(触れ合いは“価値”を生む)
- 肯定的な接触:ブラッシング、マッサージ、穏やかな声かけは安心感につながりやすい
- 遊び:オモチャ単体より、人が一緒に関わることで価値が増す
騒音ストレスと音環境(家庭でも見落としやすい)
施設(ケンネル等)の騒音は犬にとって大きな負担になることがある、と論文では触れられています。家庭でも、テレビの音量、掃除機、工事音、来客の大声など、音刺激を見直すだけで落ち着く犬は少なくありません。
- 静けさの確保:休める“音の少ない場所”を用意する
- BGMの活用:犬によっては穏やかな音が落ち着きにつながる場合もある(反応を見て調整)
トレーニング=「知的刺激」であり、信頼形成でもある
論文ではトレーニングを、単なる“しつけ”ではなく精神的エンリッチメントとして位置づけています。
- 正の強化:体罰や強制ではなく、成功を増やし褒めて伸ばす
- 協力的ケア:爪切り・ブラッシング・診察などを「犬が協力しやすい形」に教える(ハズバンダリートレーニング)
エンリッチメントは「コスト」ではなく「投資」
本論文で印象的なのは、エンリッチメントが動物の福祉だけでなく、飼育者(家庭なら飼い主)の安全性や満足度にも寄与しうる点です。
恐怖や不安が強い環境では、動物は“普通の反応”を示しにくくなります。家庭で「問題行動」と呼ばれるものの一部も、実は環境の不足・選択肢の欠如・刺激の偏りから生じている可能性があります。
家庭で実践できるポイント(チェックリスト)
- 猫:高さ/隠れ家/トイレ(大きさ・数・清潔)を整える
- 犬:質の高い社会的接触(遊び・スキンシップ・散歩の“会話”)を増やす
- 食事:パズル給餌や隠し給餌で「探索・狩り」を入れる
- トレーニング:命令ではなくコミュニケーションとして、正の強化で行う
- サイン:隠れる・固まる・目をそらす等の「嫌だ」を尊重し、環境を見直す
まとめ
Overall博士らの論文は、実験動物という厳しい環境設定を通じて、犬と猫の生物学的ニーズを浮き彫りにしています。家庭でできることは、特別な道具を買い足すことよりも、まずは「選べる」「隠れられる」「休める」「探索できる」「関われる」を整えることです。
犬や猫が、単に「生きている」だけでなく、「活き活きと暮らす」ために。科学的な視点を取り入れた環境作りを、今日から一つずつ始めてみてはいかがでしょうか。
参考文献:Karen L. Overall, Donna Dyer, 2005, Enrichment Strategies for Laboratory Animals from the Viewpoint of Clinical Veterinary Behavioral Medicine: Emphasis on Cats and Dogs
執筆:equall編集部









































